暇だからゲーム専門学校時代を振り返る

 

文字書かないと死んじゃう病の発作が起きたので書く。

 5年くらい前の話なので今はどうなってるかわからない。

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■4年制でゲームとかITとかの専門学校HAL東京

新宿にあるでっかいビル。新宿うつすと嫌でも映るのでアニメとかでたまにでる。50階建てだけど真ん中の10階ぐらいがHAL東京。上がMODE学園(ファッション)したが首都医校。MODEはファッション専攻するから学校には奇抜なファッションでイキりしらしてる陽キャが居て我らオタクは怯えてた。

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エレベーターが緑(首都医校20階まで)青(HAL30階まで)赤(MODE50階まで)があった。

赤のMODEエレベータは30階も止まるのでHALも使える。でもいつぞやか「オタクは臭いから赤エレベータ乗るな」という苦情が来たことを覚えている。もちろんゲーム専門学校はオタクが多くて身だしなみを一切気にしない人で臭い人達はたくさんいたので間違いではない。

 

学長の谷勝なぜファッションと対極的にある身だしなみに気を使わないオタクを一緒のビルに入れたのか小1時間問い詰めたい。

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谷勝のありがたい言葉が書いてある本は学生全員買わされている。

 

「自己強育」の言説

 

しかもここに書いてある名言みたいなのが階段を3階ぐらい上るたびに壁に掘られていて煽ってくる「君の未来に遠慮はないか」とか。うるせえな。

今だとメルカリで売られてるので生徒が金に困って売ってると思う。

 

■1年生ー遊んでいたー

前期と後期という概念があって。前期はゲーム、デザイン、IT系の学科は全部同じ事をしてた。後期でクラス分けが始まる。学校の意図的にはまんべんなく学んでもらって興味もった事を後期で選んでもらうというスタンスだと思う。前期は基本遊んでたので記憶はない。ドット絵をハサミとノリで方眼紙に貼って作るみたいな図工をしてた記憶はある。デザインの授業だったか。

 

後期の選択にうつるまえにホールで各学部の先生たちからプレゼンがはじまる。先生達も自分の学部に生徒が誰もこなかったらヤバイ訳でがんばってプレゼンする。

ゲーム学科の先生は「全員ゲーム業界にはいけません。半分も行けないと思ってください」と厳しめな口調だったが事実だったのである程度ふるいにかけてたのだと思う。

その中でロボ学科の先生のプレゼンが上手くてゲーム学科いこうと思ってたけど結構揺らいだ。

友達に相談したら「お前は何をしに来たんだ?ゲーム作りにきたんじゃないのか?」と言われてハッとしてゲーム学科に行った。そいつは今大手パチンコメーカーに勤めて趣味で風俗通いをしている。

 

 後期はC言語でアクションシューティングみたいなの作って終わった気がする。1年の最後にそれぞれの学科の教室で学んだ事を展示する日がある。それはビル全体でやる事でMODE学園の生徒とか首都医校の生徒とかも来ても良い日だ。こっちも向こうの学校に遊びに行っても良いけど怖くて行けなかった。

ただ自分のゲーム展示してた時にMODE学園のチャラい女子生徒が来て「へーオタク君達ゲームつくってるんだー」と自分のゲームを遊んでもらっていった事がある。えっちっぽいお姉さんだった気がする。人と接するのが苦手なので馬の被り者をしてプレゼンしてた。馬の口からめっちゃおっぱい見てた気がする。

アイコ アニマルマスク サラブレッド

で最後に大賞とか決めて一番おもしろいゲームつくった人とか技術賞とかもろもろあった気がする。自分のクラスでかなり出来が良かった人がいて教室の配置のせいなのか中々票数が集まらず賞を取れなかった人がいた。悔しそうにしてて下を向いて泣いてたと思う。とはいえ彼は4年後大賞を取って大手ゲーム会社に就職して今も活躍している。自分は賞など取った記憶はない。熱意が足りなかったか。

 

■2年生ー地獄の共同制作ー

春休みが1ヵ月ぐらいあった後に2年生がはじまる。春休みのうちなんてプログラムのプの字も触らないので1年で学んだ事をすべてわすれてた。構造体ってなんだっけレベル。2年からは本格的に学科ごとにクラスが分かれる。自分のクラスは新聞奨学生がいるクラスで朝に授業が集中していた。新聞配りながら学業をこなすなんて正気の沙汰じゃないし普通にバイトしてた方が楽だと思う。そして奨学生たちは皆授業中は寝ていて2年の終わりには皆学校を辞めてた。いや1人の狂人を除いて。そのバーサーカーは今年のゲームの技術系のイベントで登壇してたと思う。同じ会社に行った友達から話を聞くに彼はバーサーカーっぷりを発揮して会社の業績を上げているらしい。

 

前期はC++とかクラスとか学んであと当時任天堂DSがあってそれでシューティングみたいなの作ってた記憶がある。PCに比べて容量は少ないは性能は低いはでかなり組みにくい仕様だった気がする。企業の人達はよくこんなんでゲームつくってるなと思った。

 

で本番が後期である。今までぬるま湯に浸かってた生徒を寒中水泳させるかの如く授業の難易度とスピードが上がる。1年最後の発表の為の共同制作がはじまる。4,5人でチームを組んで山ほど襲ってくる課題をさばきながら時間がある限りゲームを制作する。

 

自分のチームには新聞奨学生のバーサーカーがいた。怖い。自分はリーダーになったのでプログラムは全部バーサーカーに任せてその他の雑務を処理していた。

バーサーカーは恐ろしい事に絵もかける。ポスターを提出する課題があったのでデザイン担当にポスター制作を依頼して納品してもらった。しかしバーサーカー的には納得がいくクオリティではなく自分が書いた方がマシだから俺が書くといいはじめた。やめて。デザイン担当曰く「時間がなかった」との事。おい待て。君の目の前にいるのは誰よりも時間がない新聞奨学生のバーサーカーだという事を忘れないで欲しい。口を慎め。デザイン担当が1人葬られそうになったので再提出をしてもらってなんとか許してもらった。

 

それ以外の主な仕事は展示用のブースを作らないとなので他のメンバーと無限に段ボールを切ったり飾りを付けたりしていった。まぁ文化祭みたいで楽しくはあったと思う。プログラムを組まないで段ボールを切って組みたてるの事が自分の生き甲斐だと思っていた。

そして最後のゲームの発表会がありバーサーカーのお陰で良いクオリティのゲームが出来上がってた。銅賞は取った気がした。バーサーカーと一緒に打ち上げはしたくなかったのでお疲れ様!といってチームは解散になった。その後の他のクラスの人の打ち上げで僕は「おこぼれ君」という名前をつけられた。

■3年生ー地獄の就職作品制作ー

2年後期を一切プログラムを組まず段ボールを組んでいたのでプログラムのプの字も分からなかった。C++?クラス?なにそれレベル。そして3年生から就職活動がはじまる。いわゆる個人戦だ。段ボールを組んでもゲーム会社にプログラマとして就職できない事に気付いた僕はここで一気に焦りはじめる。

あれ?関数ってどうやって作るんだっけ?

引数ってなんだっけ?

段ボールを切る時は床を傷つけないようにマットを敷くこと。

その程度の知識しかなかった。

 さらに2年後期の地獄の制作を経た学生たちは面構えが変わっている。人もさらに減った。誰が使える奴なのか。仕事をしなかったクズは誰なのか。誰を仲良くすれば良いのか。そんな空気が漂っていた。僕はバーサーカーを隠れ蓑にしていたので一応仕事をしていた部類に入っていた。ありがとうバーサーカーそしてさようなら。

ここでHALの特徴の課題システムを紹介したい。HALはアホほぼ課題を課してくる。1週間に4つとか提出期限があって3年にもなれば課題の難易度もあがる。C++,ネットワーク、グラフィックなどなど。毎日課題をこなす日々になる。毎日21:30のホタルの光の音楽が聞こえるまで自習室でプログラムを組み続ける。同時に就職作品も作らないといけないの鬼忙しい。というか全然間に合わないし完全にブラック学校。平日に何回か徹夜をしないといけない感じになっていた。

 CMで量産型になるなとか打っていたけど量産型になるまえにスクラップになる。最低限ザクになれるように皆白目をむきながらプログラムを組む。旧ザクでは採用してもらえない。そんな日々が続くと完全に火が消えた人と量産型になろうとする人の二極にわかれる。ゲームプログラム2クラスは合わせて60人ぐらいいたと思う。量産型になれる人は半分もいなかったと思う。

で後期あたりで就職プレゼン会という物を業界に向けて学校側で主催する。業界の人たちが来るのだから中途半端な物はみせれない。なので20人ぐらい選抜される。そしてその審査会がある。この20人は実質ゲーム業界いける見込みがある奴が選ばれる。なのでまたザク達は必至に作品を作り上げる。

 

人と同じ事をしても目立たないのでここらへんから特徴をつけないといけなくなる。すでに強い人はシャアザクとかグフとかドムなってる。ガンダムは二人ぐらいいたと思う。僕はザクになるのが精一杯だったのザクマシンガンをバズーカに替えたり足にロケットを付けるぐらいしかなかった。それでザク枠として滑り込んだ。全員ガンダムだとガンダムが目立たないからザクも必要なんだと思う。

 

ただザクにやる事はなく笑顔で「こんにちは!」というぐらいしかなかったと思う。1日中スーツで立ちっぱなしで慣れない革靴で足が痛い。僕が頑張って作ったヒートトマホークは誰もみてくれない。辛くなったので後半は休憩室に引き籠ってたと思う。休憩室には他のザクもいたのでザク同士傷の舐めあいをしてた。

 

そんな感じで3年が一番プログラムを組んだ時期だと思う。働いてた方が楽。

 

■4年生ー地獄の就活と天国への脱出ー

3年の地獄通過した後にはさらなる地獄の就活が待っている。僕は1年で作り上げたヒートトマホークを持って就活にいけないといけない。となりにはビームサーベルと艦隊級クラスの火力を持つビームライフをもったガンダムがいる。ザクマシンガンが効かないからどうする事もできない。そんな奴らと一緒に就活をしなければならないという現状が地獄だった。

 

とはいえガンダム達はザクの何倍ものプログラムを組んでたので努力が反映された結果だとおもう。ザク達は家に帰るとアニメを見てゲームで遊んでちょっとプログラムを組んで寝る生活をする。いや嘘。遊んで寝てた。頑張るのは学校だけ。

 

そして4月を皮切りに謎のエントリーシートや謎のサイトに登録して謎の説明会やらなんやらにおもむく。ビックサイトで合同説明会がありそれにいく課題があった。学校のメンツ的にいかないといけないっぽいがゲーム会社はほどんどなくて博報堂とか電通とか大手広告企業とかが多かったきがした。バンナムぐらいあったかな。

とはいえ興味ある会社がほとんど無かったので入口でパンフレットとか沢山もらって速攻学校にトンボ返りした。とりあえずいってきました体を取り繕ってレポートを提出して終わった。いやー他校のザクとかジムが多くて大変だったすわーみたいな。自分も負けてられないっすわーみたいな。それを見た教師達は「うんうん良い刺激になって良かった」とは思っているのだと思う。アホか

 

そうこうしているうちに他のガンダム達はホワイトベースに採用されてどんどんいなくなっていく。ザクも有名な艦長がいるムサイに採用されて少なくなっていく。そして5月6月になると完全に就職戦線で敗北したボロボロのザク達が残る。すでに就職が決まった人達は21:30まで自習室に残る事はなく早々と去って遊びにいく。コレからカラオケっすわーwwみたいな感じで帰るからどうしてやろうかと思った。

 

それでも足は止めてはいけないので次々に名前も知らないムサイに突撃して「雇ってくだしあ・・・」と弱気で面接にいく。ここらへんで30社ぐらい越えてたと思う。もう開き直って東京にあるゲーム会社があと何社あるか調べ始めた。条件はコンシューマやっててソシャゲやってない所で探してたと思う。やっぱりコンシューマで育ってきたのでコンシューマの会社に行きたい。当時のソシャゲはお世辞にも面白いゲームとはいえない物ばかりであった。カードに数値をだしてどっちが強いか判定する程度のクソゲーが溢れていた。さすがにそんなゲームを作ってる会社にはいきたくない。

 

というか面接官たちも悩んでいた。質問はありませんか?の時に「ソシャゲつまらないんですけどアレ面白いと思ってつくってます?」みたいな質問したらみんなうーんみな顔してた。その時面接してくれた会社の数々は今はもうない。

 

話はそれたが、調べるとまだ30社ぐらいあった。規模の大小はあれどもう入れればどこでも良いとさえ思っていた。諦めてIT会社に行くザク達もいた。とりあえずあと30社落ちたら大阪のゲーム会社しらべるかーぐらいの考えになってた。いやゆうて俺のヒートトマホークそこまで悪いか?ぐらいまで開き直っていた。はやく雇えぐらいの気持ちになってた。そこから数社ぐらいで内定がでて一応コンシューマ系だからここでいいかーぐらいのノリでそこに決めた。

 

まさか自分がソーシャルゲームをつくる事になるとは知らずに